街灯の下で鍵を探す

多感な年頃なので,近ごろ将来についてよく考えます。やりたい研究,今の自分の知識や能力でやりやすい研究,とりあえずポストが確保できそうな研究,自分にとっては新たな挑戦になるけど世の中に必要だと思う研究。どれをやろうか,やるべきか,とか近ごろ真剣に悩んでいます。


良い研究は2つに分けられると思っています。役に立つかはわからないけど科学的にとても面白い研究と,科学的には面白いとは言えないかもしれないけど役に立つ研究です(もちろん両方を満たす研究もあります)。2つのうちどちらが良いとか悪いとかはなく,どちらをやりたいかはその人次第です。


次のファインマンによる寓話は,今の自分にはとても染みます。今から分野を変えて失敗したら本気で飯が食えなくなるかもしれんな,と思いつつ,まあ,それでも良いかな,と思えます。自分は欲張りなので最終的には面白いことと役に立つことを半分ずつしたいです。今やっていることはいつかは役に立つかもと思っていますが,もっと目に見えて役に立つこと,やりたいなあ。

 本質探求の自覚なしに,やりやすいというだけで進める安直な研究に対して,ファインマンが言ったという次の寓話による批判がありました。


 ある人が街灯の下で地面を一生懸命見ていた。別の人から「何をやっているんだ」と尋ねられ,「自分は鍵を落としたので探している」。さらに「どの辺で落としたんだ」と聞かれて「いや,あっちで落としたのだけれども,ここは街灯があって明るいから探しているんだ」。


 物理の研究者がやっている生命研究はそれに近いという皮肉です。ある方法を抱えているとそれにこだわってしまう。それではいけないという教訓です。

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ネックがあるとすれば,常につきまとう短い任期です。今の研究職はみんなそうなので,当たり前のようにその中で生き残っていけるようにしなくてはいけないのですが,これには運や人付き合いも多分に影響しますね。王道を歩かない研究者には処世術も重要かも知れません。