データは主役ではなく,主役は解釈なのだ

ある本を読んでいて,次の一節でふと,考えさせられた。

 生物学がらみの知性とは,難解な生物学データを解説できる能力をさす,という誤解が広まってしまった。ジェイムスの読者の多くは,データが主役ではないことをわかっていなかった。主役は解釈なのだ。地球上の出来事をほんの少しでも把握可能にするような解釈。なのに,肝心な点がいつのまにか見失われてしまった。《もしかするとわれわれは,大量の数字に麻痺してしまい,そこから得られるかすかな真実を吸収できなくなっているのかもしれない》


実際には,その本では「生物学」ではなく「野球」と書かれていて,この本は『マネー・ボール』(マイケル・ルイス)という野球の本です。しかし,膨大なデータに浮き足立っているいま,この一節は考えさせられるものがありました。


しかし実際には,いまに限らず,昔から科学が対峙してきたのはこうした問題です。メンデル,ケプラーダーウィン,など。とは言え,これを自分の置かれた環境で解釈して,そして活路を見出すにはまだ時間がかかりそうです。


ちなみに,この本はすごく面白いっ! 特に研究者はこういう話は好きだと思います。本の中に出てきますが,野球データ分析のSTATS社を起業した人は,製薬会社スミスクライン&フレンチラボラトリーズ(現グラクソ・スミスクライン)の研究者だったそうです。また,自費出版の野球データブック『野球抄録』を買っていた数少ない顧客の中には,大手企業の研究者,物理学・経済学・生命科学の教授,数学者などがいたそうです。ぜひあなたも!